ストレス=悪者という図式はどこからきたのか?

この実験の結果からみると、確かにストレスにはいいところなんて一つもない気がします。しかし、注意してほしいのは、この実験はあくまでマウスを使っての実験だということです。実際に人間に対してやったわけではないのです。

実はセリエの学説も、マウスの実験に基づいて導きだされた結果なのです。セリエの行った実験は、雌牛の卵巣から取り出したホルモンをラットに注射して、ホルモンがどのような影響を体に与えるのかを確認するためのものでした。しかし、ラットは免疫系の病気にかかり、次々死んでしまったのです。

セリエは、これが本当にホルモンの影響なのか疑問をもちます。別のマウスに雌牛のほかの内臓から取り出したホルモンを注射したところ、やはりマウスは似たような症状で死んでしまいました。ここから、セリエはラットが死んだのはホルモンではなく、注射が与える苦痛だったのでは?と思いいたります。

そこで、休息を与えずに運動させたり、騒音を絶えず聞かせたり、極端に気温を上げ下げしたりと、あらゆる物理的ストレスをラットにあたえました。ラットはやはり免疫系の病気にかかり死んでしまいました。

これをもとにセリエはストレス学説を発表したのです。セリエはストレスを『外部環境からの刺激によって起こる歪みに対する非特異的反応』と定義し、ストレッサーを『ストレスを引き起こす外部環境からの刺激』と定義したのです。

セリエはストレス研究の権威となり、40人以上の助手をつかい、大々的な動物実験を行います。1700にもおよぶ研究報告と7冊の本の執筆、15の論文を発表しています。ただ、これらの論文の中には、多額の実験費用を出してくれたスポンサーの意向が反映されているものもあったりして、すべてを信じるわけにはいきません。

それにセリエの学説は、そのほとんどが動物実験にもとづいているものです。これを人間にそのまま当てはめるのは、ちょっと飛躍しすぎではないでしょうか?しかし、セリエの広めたストレス学説はあっという間に世界中に知られることになりました。そのおかげで、『ストレスは体に悪い!』という印象が一人歩きするようになってしまったのです。

しかし研究が進むにつれ、ストレスが心身に悪影響を与えることばかりではないことが判明していきます。

アメリカの生理学者のウォルター・B・キャノンは、イヌやネコをつかった実験をもとに、『闘争・逃走反応』という実験報告をしています。動物が身の危険を感じると、アドレナリンが分泌され、交感神経が活発に働きだし、瞬時に行動を起こす準備が整います。その一方で、緊急時に必要の無いほかの機能は著しく低下します。こうして、動物は緊急事態に備えて、戦ったり逃げたりするエネルギーを蓄えることができるのです。人間にもこの能力は備わっています。

しかし、人間の場合は闘争も逃走もあまり好ましくない事態を招くことがほとんどです。人には役にたたない能力なのか?そんなことはありません。実は、アドレナリンなどのストレスホルモンは、筋肉と脳に効率よくエネルギーを運ぶ役割をすることがわかっています。

火事場の馬鹿力という言葉は誰でもきいたことがあると思いますが、アドレナリンが体内に放出されるということは、まさにこの状態です。火事や事故など危機的状況に遭うと、とんでもなく重いものを持ち上げて逃げ出したり、人を救ったりできるのはストレスホルモンのおかげなのです。

ストレスは身を守るために重要な役割をになっていることも多いのです。